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たましん地域文化財団

「works(2017-2022)」松本宙インタビュー


多摩信用金庫本店2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、松本宙(まつもとそら、1998- )の個展「works(2017-2022)」を7月15日(金)まで開催しています。

出展者の松本さんに、今回の企画に込めた思いや展示作品とその制作について、お話を伺いました。




松本宙です。

武蔵野美術大学で油絵を専攻していて、今は、卒業して丸1年とちょっと経ったところです。実家から大学に通うことができず、こちらのほうに越してきまして。その時に、僕はずっと団地に興味があったので、団地に住んでみることにしました。団地で一人暮らしをしながら、団地というものの周辺にある生活のことであるとか、団地そのものをテーマにしてずっと制作をしているという感じです。ずっと建物に興味があって、建物を描いてきました。


――今回の展示では、「works 2017-2022」という企画タイトルで、2017年から現在に至るまでに制作してこられた絵画作品が出展されました。この企画をお考えになった経緯をお教えいただけますか。


そうですね、まず、このギャラリー自体が、通路であるというところが面白くて。ここはいろんな方向から入ってくることができる場所とは思うのですが、基本的には、「一つの方向からまた一方の方向へと通じていく道である」ということが面白いなと。通路といういろいろな人が通るこの場所に、自分の作品をこのように、すべて時系列で展示することで、先ほども自己紹介として申し上げたように、自分の生まれ育った街からこちらに移り住んでくるにあたって、「自分の周辺の風景が変わる」ということが、すごく作品の制作に影響したところがあって。その変化を自分でもう一度振り返るということを、今住んでいる立川の、この空間でやってみたら面白いのではないかと思ったんです。


――なるほど。それでは、今回出展いただいた作品とその制作について、具体的にお話を伺っていきます。作品はギャラリーの東側の入り口のところから時系列に並んでいるということで、それにならって2017年の作品から順にお尋ねします。この年は武蔵野美術大学に入学された年となりますが、どのような部分に重点を置いていたかなど、制作の上での課題について教えてください。



《煙突》2017年

《雑居ビル》2017年

2017年の時点だと、結構単純なことではありますが、古いものが今の今まで遺っているという、「時間の蓄積があってすごい」というところに、フレッシュに感動していたというところがやっぱりあって。人工的なモチーフであるとか、例えばコンクリートの建築であったり、窓であったり。四角形のものの連なりというものが構成されて街になっているということが、その時の自分には新鮮にいいなと思えるモチーフだったというのが、一番大きかったのかなと思っています。


――純粋に、そういった幾何形体で都市が構成されているんだという、物自体もそうですし、状況に感動されたと。


そうですね。壁にも一つ一つシミができたり、90度の角度が90度では無くなっていく過程がある、というところとか、一つ一つの建物にあるんだなというところが主な関心としてありました。


――建物を構成するものとして規格化されて量産された要素であっても、利用のされ方で微妙に形や風合いが変化していくものですよね。今モチーフについて伺いましたが、こちらの《雑居ビル》はこれからの松本さんの作品を代表する画面の正面性の強さに繋がってくるような様相をしています。対象を捉える視点や距離感についてはいかがでしょうか。


そうですね、思い返してみればそういった関心はこの頃結構あったなと感じます。その時僕は写真も並行して手掛けていたんですけど、写真とかだと、スキャンするように真正面から描くということができないというか。そもそも当たり前ではあるんですけど、建物って鑑賞されるためにできたものではないので。ただこれを真正面から、なおかつ自分がよいと思うところを切り取るということは、やっぱり絵じゃないとできないんだなあということが、写真を経て、改めて気づいたことで。写真家だと大山顕さんという方が、何枚もの写真を合成して真正面から団地などを撮影するということをしていて。僕も本当に影響を受けた方なのですけど。確かに、真正面から建物を捉えるということは不可能ではないんですけれども、自分の望んだ画角で、空間で、なおかつ正面から向き合うように描いていくということは、やっぱり、基本的には絵画じゃないとできないんだなあと改めて思って。意識的にそれをやり始めたのは、大体やはりここら辺の(2017年ごろの)時期ですね。 ――正面から建物を捉えることで、建物が基本的には四角形、またその連続で構成されていることがより強調されてきますね。ご自身にとって好ましいあり方として建物を描きとめるために絵画での表現を選択したということですが、実際に絵を描いていく過程でのこだわりはありますか。あくまで、平面の中に建物を捉えたいという感覚が始めにあるのだとは思うのですが。 個人的にはそういう感覚があって…、上手く説明し切ることは難しいですが、すごく素朴な感覚として、やはり好きなものは「前から」描きたいじゃないですか。2017年ごろはそこまで自覚的ではなかったですし、今もどれくらい捉えられているかは分からないのですが、ただ、逆にここで情緒的になりすぎると、建物が持っている時間性を恣意的に演出してしまうのではないかなと思ったこともありますね。写真なんかは特にそういうところが強く出てしまいやすいと思います。むしろ面白さでもあると思うんですけどね。ただ、色に関しては演出的に使っています。これはこの頃も今もずっとそうして使っているのですが。

やはり、構図としてはちょっと突き放したような、写真では捉えられないような、しかも物理的には不可能なような位置取りから、なおかつ好きなものを正面から…という。 ――ある意味とても主観的に描かれた絵ではあるけれど、対象との間には距離があり、どこかよそよそしさも感じられます。先ほど色彩のお話に触れていただきましたが、詳しくお聞かせいただけますか。 色については、やはり写真が影響しているところがあります。制作のための資料の写真をフィルムで撮ることが多いんですけど、やっぱり見たこともないような発色をするのですね。こんな色で見えるというか、こんなふうに出来上がることがあるんだ、というふうに思って。色はやっぱり優しい色調というものに惹かれて、このようにしています。夕方のような、あるいは朝のような光がこのモチーフには合っているのかなと思っていたのと、元気な光の中に置くのではなく、いつなのか特定できない時間を描きたいなというふうには思っていて。この頃はそれを試行錯誤していました。 ――確かに、どの時間なのか、どの季節なのかというところが曖昧な色ですね。 それが、「いつ」でも構わないというか、そういった状態ですね、これを描くことを試行錯誤した時期です。 ――先ほど、モチーフの物理的な遠さについてだとか、突き放すような構図で描きたいということをおっしゃっていましたが、色の部分でも、特定の時間を明示させないという点で、主観的な見え方から遠ざけたいという意識もあるのかなと…。 そうですね、でも、同時に、自分にとってあってほしいものがその位置にあってほしいという思いもあるし、この色であってほしいという思いもあるので、とても恣意的な絵になっているなとも感じていて。 ――なるほど、その辺りはかなり拮抗している感じなのでしょうか。 そうですね。


《mellow seasons 01》2018年

――これは住宅街を描いた作品ですね。少し高い位置に建っている住宅とその周辺やその奥へ広がる風景まで含まれており、視点としては、住宅自体からはやや距離がとられています。2017年の作品とは、制作において何か印象的な変化などありましたか。


はい、やっぱり、視点がガラッとこちらの郊外の方に移ってきた時期ではあって。いわゆる「都市」というよりも。こっちに越してきて、「郊外」や「ニュータウン」が、仕事で出かけていく場所としての「都市」からは距離がある場所なのだということが新鮮に思えて、これをモチーフにしたいなと思って描き始めたのがちょうど2018年くらいでした。


――やはり、立川の団地で暮らし始めて、毎日見る風景が大きく変わって、何かがわかってきた、というような…。


そうですね。


――松本さんにとって、絵を描く上での「郊外」、「ニュータウン」のよさというのはどういったところでしょうか。


「郊外」のよさというと、土地であるとか、地盤というものと、これから街が作られていくという、すでに出来上がった一つの街を作る、という行為の過程で、その土地の条件とどうやって折り合っていくのか、というところがあると思います。やはりニュータウンであればそれが大きなテーマだと思っていて。そこで人間が、元々の土地というものとの距離感であるとか、そういうものを作るのかというのは、東京の区内などの都市とは異なったアプローチがあると思います。それゆえの課題っていっぱいあるとは思うんですけど、2018年ごろは、その片鱗を感じつつも、地盤であるとか、その上に人が暮しているのだというところを描きたいと思い始めた時期でした。


――住宅が並び、人がすでに暮らしているようなところもあれば、まさに今造成中というところが並存している場合もありますね。元々の土地に人がどのように関わっていくのか、その過程が見えやすい、ということなのでしょうか。土地を切り出しているところだったりとか…。


そうですね、それはよいことなのだろうか、という疑問もありつつ、そういう場所に人が住んで、そこに生活があるということは、それはそれで尊いことで。ただ、ニュータウンのその、乱開発しているよね、などという一面的なイメージってあると思うのですけど、その中で、自然とどうやって折り合いをつけていくかというところを大切にしている業者があったり、そういう取り組みがあったということも実際は確かなことで、そこら辺については、作品の中に肯定的に取り上げたいと思ったりはするんですけど。土地と人の間に関係性があるというところ、造成した土地の上に有機的な生活が繰り広げられるという、そのやりとりが面白いなと感じていました。



《風景(S町)》2018年

――続いては、高架下の風景ですね。


これは、セルフトリビュート的なことがやりたくて描いたもので。中学2年生の頃に初めて描いた油絵が高架下の風景で、その時は、ああいう風景の中に育って、そういうものに関心を持ったわけですが、ここにきて、もう一度それをやってみようと思い、描いてみたのがこの絵だったんです。これ(《風景(S町)》2018年)は大学2年の最後の方に描いたものですね。


――高架下の建築の四角い窓や扉、室外機があって、画面を横に走る高架や架線、架線の柱なども含めて、これもまた正面から捉えられることで、縦横の線が印象付けられています。


そうですね、正面から対象を見るということは継続されていて、先ほどの住宅街の絵もそうなのですが、地面を描いて、そこが本来写真では撮り得ない風景であるっていうこととか、不安定な距離感というものを作っていきたいなと思って描いていたものだったんですね。この、生活があるんだけれども、その生活者がどんな人であるかっていうことは本来知り得ない情報で。知らない街を歩いているときのよそよそしさというのは、僕にとってはとても大事なことであると思っていて。


――知らない街を歩くときのよそよそしさ、誰もが感じることですよね。それ自体を肯定的に捉えられることはそれほど多くないとも思いますが…。


はい。よく聞かれるのが、「ここに住んでいる人はどんな人なの?」とか、「名前はあるの?」ということで。そういうことが決まっていたほうがいいのかな、とぼんやり思っていたんですけど、「いや、しかし」と明確に思ったのがこれを描いていた時期で。ここに住んでいる人は誰でもいい、でもその人でなければ、という。高架下の、鉄道の橋脚があってその下に住んでいるというのは、強烈にフォーマットが定義されているものだと思うんです。けれど、そこからこういうふうに漏れ出す、そこから生活が有機的に漏れ出していくということは、同時に、ここに住んでいる誰かでなければそうはならないっていう。名前のない人なんだけれども、「その人」である。けれどもその人でなければならない。だけれども…という。


――フォーマットが強固だからこそ、違いが際立ってくるというか。同じ造りの住宅でもどのように使用されているのかというところで、少しその人の暮らしぶりや人となりのようなものに想像が及ぶということはありますよね。


そうですね。ただ、その人と僕の人生が交わることは多分この先ないという、それってすごくよいことだなって思うんですよね。


――この作品も含め2018年以降の四角いモチーフが連続する作品では、風景全体としてはまとまっているのですが、個々のユニットが、確かにひとつひとつ違いをもってそこにあるという状態がしっかり描かれている印象を受けます。具体的にはどのような過程を経て描いているのでしょうか。


多分この時は、形を描いていって、まずは形のバランスがいいというところを決めていって。そこから描いていますね。後ろの風景についてはある程度あたりを付けておいて、後から描いたと思います。手前の高架下のところは、形のバランスとして気持ちがいいかどうかを最優先にしていましたね。なので、先ほども言ったようなそこに暮らしている人の生活を想像しているわけではない、ということでもあります。この要素はここにあれ、ここはここにあったほうが絶対いい、という意味でかなり自分の主観を入れて。でも、主観的に、自分がこうしたいと思ってやっていても、絵に跳ね返されることってあって。フォーマットを決めようとしても、何かが漏れてきてしまうんだなということを感じます。この作品は大きいキャンバスだったことも大きいのですが、制作プロセスの上でもそういったやり取りをしながら、ですね。

左から《風景(S町)2》2018年、《風景(S町)3》2018年

――《風景(S町)》は大きめの作品でしたが、《風景(S町)2》《風景(S町)3》ではサイズが小さくなっています。対象としては、高架下の風景という点で同じですね。


この頃は、2つ並んだ時によく見えてほしいという、展示全体として見た時にどうかなどを意識していて。似たものを何枚か描いても絶対に違いが出てきてしまう、そういったことが面白いと思い始めたところで。同じことをやろうとしても絶対に同じにはならないというところが…。作業的にもそうですし、それを強烈に意識したんです。そう思うと、この時、大きいキャンバスに跳ね返されたと感じた経験によって、自分がコントロールしようとしても全然できないものってあるな、ということを、いい意味で悟ったというか。同じものを作ろうとしても絶対に同じものは作れないのだから、逆に、同じものを作ろうとしてみて、その結果生じてくる違いを楽しんでいきたいと思ったんです。


――なるほど、そこで、一つの課題として、あえて同じモチーフを同じ構図で複数描いてみるというやり方が出てきたと。


そうです、それは、同じものを描いても同じにはならないんだという絶対的な信頼があるからで。

下地を作ったときの感じで、この色の上には、この色を乗せたいなというところから違いが出ていくのかなと。この2点は、絵の具の扱い方としては近いやり方をしているので、かなり似ている気がします。



《mellow seasons 02》2018年

《mellow seasons 03》2019年

――これまでは、対象と距離をとって、正面からまっすぐ描いて、という画面がここまで続いていましたが、こちらの2点(《mellow seasons 02》、《mellow seasons 03》)は室内のモチーフを描いたもので、よそよそしさというよりも親密さを感じられる作品です。これまで、室内を描くということはされてきたんでしたっけ。


室内の絵は全然描いてこなかったですね。大きいものを描くのは2018年終わりのこれらが初めてですね。


――室内を描くことはこれまでのように建物を描くことと、モチベーションの部分ではまた違いがあるのかなと思いますが、いかがですか。


もちろん対象が変わっているので、あるにはありますが、同じものを共有しているのではないかと個人的には思っていて、それはとても重要なことだなと。その時、団地に住み始めてそこそこ時間が経ってきたところで、当たり前なのですが、自分の隣の人も向かいに見える部屋の人も、自分と同じ部屋に住んでいるんだなあと、そういえばそうだなと思ったんですね。夜になるとみんな部屋の明かりの色が違うだとか、どこにどうやって家具を置いて、どういう場所にして生活しているのかだとか、決められたフォーマットの中でどのように住みこなしているのかということには、部屋の数だけ答えがあるのだ、という事実に対して、改めて「いいな」と感じたんです。それこそ、高架下で、高架と橋脚に囲まれたスペースのフォーマットから漏れ出してくる生活の気配というような。それは自分の暮らしにも同じようにあったんだと。キッチンとかも、四角形の連続というか、機能があって、その形に理由がある四角形なのだと思ったときに、ああ、自分の生活にもあったんだ、という、それが嬉しくて描いたという感じです。なので、ある意味では視点というか、興味の対象については共有されていますね。


――なるほど、確かに、シンクのところにこの洗剤が置いてあるとか、電子レンジは冷蔵庫の上に置いておくであるとか、そういうところも、やはり、ほかの家ともきっと似ているんだと思うけれど、多分少しずつ異なっているんだろうなというのはありますよね。対象やその距離感は変わったけれど、松本さんが惹かれる要素は引き継がれているのですね。《mellow seasons 03》は、部屋の内部空間を構成している家具などが完全なメインではなく、部屋を支えている枠組みの部分も描かれていますね。


梁がよくて。梁は絶対描くぞと思ってました(笑)。これはキッチンの絵とは違って距離感がある絵なんですけど、梁を入れたかったので…。


――部屋の内部空間を支えている梁がまた壁面を四角形に分割しているのがわかって面白いですし、あらかじめ与えられている枠組みの存在として意識されてもきますね。




《ambient 01》2020年

――続いて《ambient 01》では、また視点が対象から遠ざかりました。集合住宅の一つ一つの部屋、壁面、部屋の窓、室外機などが並んでいる風景で、左右と階下の部屋にあたる部分は断ち切れていて画面の外にも部屋は続いていっているようです。視点は再び建物の外側からのものとなりましたね。この変化は興味深いです。


人的には、これ以前の作品を描いたことで自信がついたというか。自分の生活というか、この部屋は、隣の人と同じ部屋で、向かいの人ともきっと同じ部屋で。レイアウトが線対称になっていたりはすると思いますが、基本的には同じ部屋に暮らしている。それでも全然違う生活があるんだということに改めて気づいたんですね。なので、真正面から全て同じ部屋を並べて描いても大丈夫なんだ、じゃあやろうかな、と思って描いたものです。高架下の絵の時と同じように、同じものを続けて描いていても、やっぱりそこには絶対に違った時間というものが存在するんだなというのを、自分の生活を見て思ったので、今住んでいる団地全体でもきっとそうだよね、と思ったのが発端です。


――それらは、これまでの作品制作を経なければ気づけなかったこと、というような…。


そうですね。それで、ここからはだんだんとより抽象的な方向に行きたいなと考えて。普遍的な形だけで、暮らしであるとか、いろんなことを説明できないだろうか、と思い始めたんです。こういうふうに描けば、幾何学的な形というか、すぐに何かわかる形だけで、暮らしてきたフォーマットと人との関係を半分抽象的なところに落とし込んで、いろんなところに適用可能なものとして描いていけるのではないかと思ったんですね。


《ambient 04》2021年

《ambient 05》2021年

――いろんなところに適用できるものとして描く、という考え方は面白いですね。同じものを繰り返すことで、差異とかその豊かさを際立たせることができるのではないかと。


「団地って全部同じじゃん」と言われたり、「団地ってなんか怖いよね」と言われたりすることがあるんですね。それは実際にそうであることもあるし、僕もその気持ちはわかるし、全く間違っているとは思わないのですが、いろんな暮らしがたくさん、同じ部屋として並んでいるということ自体を、絵の中で本当に並べることで、なおかつ、できる限り平坦に描いてその要素だけを強調することで、肯定的に扱えないだろうか、と思ったんです。


――これまではメインの建物以外に、具体性のある風景が一緒に描かれていたのが、四角い空のような、空白そのもののようになっていて、それも画面全体の四角い要素を強めているようです。


パターンというか、形の集合体としての面白さを絵として作っていきたいという思いがありますね。形についてはずっと追ってきたテーマでもあったので、ここで改めてやりたいと思ったんですよね。

絵を描く上で、ずっと恣意的でありたくないなと思っていたのですが、同時に、どこかで常に優劣をつけていて、また、その外部と内部というところが絶対にあるんだということが、仕方ないことでもあるんですけど、そこにもどかしさを感じていて。この作品も絵として構成しているものなので、そういうものがないわけではないんですけど、このパターンがどこまで続いていても、どこかでプツっと終わっていてもいいというか。


――確かに、絵の外側にも、内側に描かれた対象の持つ形の面白さがきっと連続して現れているだろうといった想像ができる画面ですね。


それと、色の集合体として「よい」と思えることが一つの動機でもあります。それを動機とすることで、そういったものへの責任が取れるんじゃないかということも考えていました。


――責任、ですか。


はい、例えば高架下の風景だと、個人的には残ってほしいですけど、手放しに残ってほしいとは言えないじゃないですか。それこそ自分の人生とは交わらない物語としてそこにいる人たちの生活があって。何かで知ることがあっても基本的には自分の耳には届かない。ずっとレトロ趣味ということだけが動機ではダメだと思ってはいて。そうなると、どうやって扱ったらいいのかと。団地に関してももちろん趣味的な眼差しで見ている時もありますけど、その責任はどうやって取ればいいのかなと。自分が責任を持って描けるモチーフって何なんだろう、と思っていたんです。


――制作を続ける中でも同様かと思いますが、実際に現地(対象のある場所)に訪れたり個人的にリサーチを重ねる中でだんだんと対象に対するシビアな目線が現れてきたと。


そうですね。


――どんどん画面の平坦さが増していって抽象性が強まっていっても、絵の外部へと連続性が感じられるように描くこと、一つの絵の空間が他の絵にも接続されるように展示してみることで、これが趣味的な絵であるというのとはまた別の道筋が自ずと見えてくるようです。


また、連続性というところを考えると、群衆的であることも重要かなと思っています。その人でなければいけないんだけれども、その一方で、誰でもいい、不特定の人である、不特定多数の人たちであることも意味があるんじゃないかなと思っています。特定できない人が集まっていることに意味がある。「その人の時間」というものが、こちらはその内容を知り得ないんだけれども、確かにそこに存在しているということは肯定されるべきことだと思うんですよ。いないとされている人、ないとされている物ってあると思うんですが、団地って公営住宅なので、前提として「誰にでも開かれている」場所でもあるはずで。この絵を見て、ここに描かれているのは自分ではないけれど、自分かもしれないとか、自分であってもなくてもいいということが、等しくこの絵を見る人の前に現れるようにしたいなと考えています。



《Wall, Window 01》2022年

――ギャラリー突き当たりの《Wall, Window 01》は、2022年の作品でまさに最近制作された作品ですね。 一段と、建物を構成する縦横の線が強まり、窓枠や壁面の矩形がよりくっきりと出てきています。絵の質感で言っても、先ほどの《ambient》のシリーズよりも平坦さが増しており、先ほども「パターン」という言葉が出ましたが、建物のファサードであると同時に柄のようにも見えてきます。


そうですね、より、形が強くなって抽象的になっていて。やはり、「同じものを描きたい、作りたい」という気持ちがあったので、これとほとんど同じ絵が実はあと2枚くらいあるんですよ。それを何回もやったとして、絶対に同じ絵にはならないということを、絵を描く上での取り組みの1つとしてやりたかったのもあります。また、絵を作っているうちにだんだん手慣れてくるので、それもあって、描かれた形がぱちっと決まってきている感じではあります。


――確かに、何度も同じものを描き続けた時の、慣れだったり、きれいになっていく(上手くなっていく)問題は気になるところです。避けられないことではあると思いますし。


同じことをやるって、やっぱりあまり肯定的に見られていないというか、過去の作品がよかったからもう一回やることって、「よい」とは絶対に思われないじゃないですか。ただ、同じものを描いても決して同じにならないというのは確かなことだし、どこかで少しずつ異なる描き方をする場面が出てくるはずで。絵のフォーマットを決めても、描き手である自分がそこから漏れ出てしまうこともありますし。制作を継続することで上手くなっていったとしても、これまでの実制作を通して、その、「結局は完全に同じものは出てこない」というところに、僕はほぼ完全に信頼を置くことになったので、このままやっていっても大丈夫なんじゃないかと、それを証明していきたいなと。そういう気持ちはなくはないですね。とりあえず、このまま続けていってみようという気持ちでいますね、今は。


――団地のファサードを捉えた作品では、絵の風景に対するこちら側からの距離について先ほど、遠ざかったというようなことを言いましたが、これを見ている人がどこに立ってこれを眺めているのかわからないような、かなり特定しがたい距離感です。


これらの作品では絵の中に距離感を設定しないように描いているので、この絵の奥に空間があるというよりは、手前にある意味にアプローチできたらいいなと思っていて。最近は特にそういうことを思っています。この絵のこちら側にある意味について問いたいという、それが大きいです。絵を見ている側に語りかけられるような絵ですね。

それと、今回、通路のスペースに作品を展示するにあたって、利点だなと感じたのは、「通り過ぎられる」というところなんですよね。団地ってずっと関心を向けられずにいたというか、いいことではあるのですが、当たり前の風景として存在するもので。その前が通路であれば、もちろん通り過ぎる人がいるわけで。僕の絵のことも、団地そのもののように通り過ぎる人がいて。僕の絵も場所に同化しがちなものでもあるので…。気づかれないような存在なんだけれども、群衆的な不特定の人々が存在しているんだと、みんなその前を通り過ぎながら生活しているんだと。そういった場所を、この団地の絵をここに展示することで、まさにここに現出させられないだろうかと思ったんです。


――ここは展示壁面のルーバー材の強い縦方向の線や、ガラス壁面のグリッドなどが特徴的な場所ですが、これと連動して、作品が印象強いものになりそうですね。


グリーンスプリングスも、とても開放的で、様々な人が通り過ぎる場所ですし、最近の作品は特にそうですが、こちら側(絵の手前側)にアプローチできるようにしたいなとは思っていました。通り過ぎていってもらって、見過ごしてもらってもいいというか。


――作品全般に対してもう一つ伺いたいのですが、松本さんによる展示のステートメントにもあるように、これらはあくまで空想の街を描いたものなんですね。


はい、室内の絵以外は、すべてそうですね。僕は、ずっと頭の中に街があって。高校の頃、授業がつまらなすぎて、頭の中に架空の鉄道の線路を引いて、例えば5分と決めたら、こことここの間は5分で行けるはずだ、ということでその5分間の道のりを想像で辿ってみるんです。普通に授業中で、こんなことをしていたら完全に寝ている人なんですけどね。そうして、その結果実際にきっかり5分経過していたら、ちゃんと正しく頭の中でスケール感を再生できていたな、と。そういうことをしていたんです。2年くらいそれを続けていたら、1つの市くらいの大きさの街ができていたんですよ。大体こんな感じの街だという地図も実はあります。僕が絵に描いた風景は、情報としては具体性がないものを目指していると言いつつも、自分に全く関係のない街であってほしくはないという。自分が立川に越してきた時、駅前の風景が、高校の時に想像していた街にとても近かったんです。団地もずっと住んでみたかったですし、ここが自分の空想していた街そのものだったらいいなと思うようになって。自分がこれまで思い描いてきた風景と、自分の暮らす部屋を接続するということをしたくてこれまで絵を描いてきたというところもあります。


――《風景(S町)》の「S町」も、空想の元となったどこかの町なのかなと思っていましたが、空想の街の中のS町ということなのしょうか。


そうです!ちゃんと自分の街の中に「S町」があって、そこの高架下の風景なんです。


――なるほど。やはり、自分の好きなものや追い求めたものを描きたいという出発点があって、でも、ある程度距離を取った視点を設定しつつ、抽象性を高めてみるなど、対象に対して主観的なところと、客観的であろうとする姿勢が重なり合うような制作がなされているという印象を受けます。


好きなものを描く、ということだけじゃダメなんだと、それを確認しながらの制作ですね。対象については本当に、様々な人に開かれたシステムとして、普遍的なものとして続いていってほしいなと、そういう存在として捉えて描いていきたいと思っています。





 

インタビューでは、絵画のモチーフとなる対象をどのように捉えるのか、自身の問題意識をどのようにモチーフに託すのかといった話題を中心にお話しいただきました。

松本さんの作品では、松本さん自身が個人的に好きだという対象が作品のモチーフとして選択され、一見すると趣味的な世界観が描き出されているかのようでもあります。しかし、その実制作においては、モチーフと自身との関係性や社会との接点を丁寧に問い直す作業がなされています。作家の視点と思考の移り変わりとともに繰り返されて展開する風景はこちらに何を語るでしょうか。是非ご覧ください。


聞き手・文/たましん美術館学芸員 佐藤菜々子

 

会期|2022年6月6日(月)〜7月15日(金)

利用可能時間|午前7時〜午後10時

入場料|無料

会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)

〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階

お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)

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